モハーチは、ハンガリーの南端、ドナウ川の右岸に位置する、人口2万にに満たない小さな都市です。
1526年と1687年の2度のモハーチの戦いがあったところで、ハンガリーにおけるオスマン帝国支配の始まりと終わりの戦いがあったところで知られる。
観光の目玉として知られるのが毎年2月に行われ、木曜日から始まって6日間続く、ブショーヤーラーシュです。「ブショーの行進」を意味し、ハンガリー南部の街モハーチでショカツ人(クロアチア人の一派とされる民族集団)によって行われる毎年恒例の祭事です。伝統の覆面を見にまとってブショーとなった人々が街を練り歩き、民謡やダンスなどが行われます。
毎年、何千人もの人々が集まり、ハンガリーのモハチの路上を行進する壮大で世界的に有名なブショーヤーラーシュを見守ります。
www.mohacs.hu
ブショーの起源に関して、地元では2つの伝承があります。一つは、オスマン帝国によるハンガリー支配の下で、モハーチの住民は街を脱出し、付近の湿地や森の中でオスマン帝国の軍をやり過ごした。ある夜、住民らが火を囲って話をしているときに、ショカツ人の老人がどこからともなく現れ、「恐れるな、お前たちの生活はじきに良くなり、家に帰れる日が来るであろう。その時まで戦いに備え、武器をこしらえ、恐ろしい仮面をかぶって待つのだ。嵐の夜に、覆面の騎士が迎えに来る。」と話し、またどこへともなく姿を消した。住民らは老人の教えに従ったところ、数日後の嵐の夜に騎士が現れ、恐ろしい仮面をかぶってできるだけ大きな音を立てながらモハーチに戻るよう指示した。住民らはこの騎士の指示に従い、オスマン帝国の兵士らはその大きな音と恐ろしい仮面の姿に恐れおののき、激しい嵐も相まって、悪魔が襲ってきたと思って日の出までに街から逃げ出したとされる。
もうひとつの伝承では、ブショーはオスマン帝国のトルコ人を脅かすためではなく、冬そのものを脅かし追い出すためのものと伝えられています。冬の終わりに太陽が弱まり、悪い幽霊が生まれたと信じられていました。 人々は派手な騒ぎや魔女の人形を燃やすことで悪霊を追い払おうとしました。
ブショーの行進は長い間、毎年2月初頭にモハーチで行われてきた祭事であり、地元のショカツ人の他にも、クロアチアやセルビア、スロベニア、更にはポーランドなどからの来訪者も祭りに加わっています。また、2009年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。
イベントは 30か所のロケーションで行われ、訪問者は約80の異なるプログラムやアクティビティから選択でき、路上で行進している約1,400のブスを見学できます。
これらのプログラムには、ダンスハウス、ブショーの行進、ブショーの衣装や装飾品の紹介、フォークミュージックバンドのコンサート、モハーチの戦いの記念、民芸品市場、子供と大人のためのワークショップ、教会や美術館でのその他の活動などがあります。
Source: Wikipedia
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